衆議院解散で総選挙があるそうです
また税金をたくさん使って選挙をやります
まぁ、使っても良いんですよ、使うだけの価値があるならですけど
ホントかどうか知りませんが、一回やるのに500~600億ほどかかるらしいので、
割と稼いでるサラリーマンの生涯収入100人分くらいですか
そのぐらいの価値があると考えているということでしょう。
他の例えで言えば、おにぎり食べたい。の人にその願いを5億回は叶えてあげられる。
それぐらい価値のあることをしてくれるのでしょう。きっと、多分、知らんけど
まぁ、閑話休題
選挙があるようになると割とよく聞くなぁと思う言葉に
国民に寄り添った政治というのがあります
わっちはこれに違和感を感じるのですよ
国民に寄り添った政治、うん、良さげな響きですが
国民と言っても1億人以上いるわけですが、その1億人以上の人にそれぞれ立場が有り
それぞれの価値観があるわけです。
中には相反する価値観を持つ人達も当然いる訳です
「国民」とデカイ主語を使っているわけですが、
相反する価値観をそれぞれ持つ「国民」の全てに寄り添えるわけないでしょ?
んな事が出来るならやれ政党だ、やれ派閥だと争う姿など「国民」が目にする機会などないでしょうから
そうするとそんな事言っちゃう人達がどんな「国民」に寄り添うつもりなんだろう?
と、考えてしまうのです。
そうすると、結局わっちのような能無しに考えつくのは自分らに都合の良いお友達のことを
「国民」と言っているんじゃないの?ってなふうに考えてしまうのです
まぁその人らもこの国の国籍を持っているのなら「国民」ですし
全ての国民に寄り添うとはあんまり言いませんし、嘘じゃないですね
寄り添うけど寄り添い具合の配分は秘密やでってことなのかもしれません
まぁ、良いんです
寄り添いたいってことなんでしょ、出来る出来んは関係なしに
それでもわっちは思うのです
政治が国民に寄り添ってどうするんだろう?と
せっかく特権や莫大な税金、それにそれでも足りないと言って国債まで発行したりして
それらを使って、優秀と言われる人間を集めて巨大な組織をつくってまでやる政治が
国民に寄り添う程度ってどうなん?と思うのです
その程度のことならただ、集めた税金をなんかやりたいけどお金が無くて出来ないよって人に必要な額を配ればいいだけだと思うのです
もちろんこれが反社会的な活動に充てられないか
とか、それがその人の為にならない使われ方をしないように審査する必要はあるでしょうし
必要な額が多ければ、そのやりたいことがどれだけ多くの人に支持される事なのかと
比較検討してから支給の是非を決めればいいと思うのです。
「国民に寄り添う」程度のことは、
大掛かりな政治などというものを使ってまでやるような事にはどうにも思えません
わっちが政治に求めたいのは
「国民が寄り添いたくなるような政治」です
日常生活を営むなんやかんや忙しい中で産まれる思いつきのような願望を叶えてくれる
これはこれでそれなりの魅力はありますが
せっかく頭のいい人達や様々な特権、莫大な予算を任されているのですから
それらをフル活用して普通の人じゃ思いつけない、普通の人じゃ出来ないそんな事を
国民に指し示して、国民の全てとはいかないでしょうが、
多くの国民に「お、それ良いね!そんな事全然思いつきもしなかった。やろう、やろう」
と思わせるような政治をして欲しいと思うのです。
まぁ、ながながと書いてきましたが、何が言いたいかというと
なんやそんなにお金があるなら5億くらいわっちに頂戴ってことです
そこそこ広い土地買ってぼたねこかふぇ(ボタニカル猫カフェ)やりてぇ
疲れてんのかな?わっち