ぼたねこかふぇ
残念なおっさんの頭の中
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この年になって思ったこと

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今年40になりました。なってしまいました。

おっさんだって歳はとりたくないものです。若く有りたい。そう思います。

老化といいますか、肌のハリはなくなってシワっぽいのも出来てくるし

動きも、反射速度も、体調も低下してきている気がします。

ただ、そもそも使っていない能力が退化してきているだけなのかもしれません。

子供の頃のように走り回ったり飛び回ったり、好奇心を持って何かをやることが

少なった結果、その生活習慣に沿った性能に適応しているのかもと思うと

おっさん臭いことをやるのではなく、子供っぽいことをやった方が

老化せずに済むのかもしれませんね。

まぁ、何は兎も角40年経っちゃいました。70まで生きるなら半分以上

80まで生きるならちょうど半分、100まで生きるとしても折り返しちょい前って感じです

しかも上り調子の残り半分なら気分も良いのでしょうが、

恐らく身体的にもその他のことにおいても下り調子が予想される残り半分程度の人生

中々疲れさせてくれます

この歳でも何かを成した、または成せる見込みがあるならある程度気分は楽なんでしょうが

どうにも、そういったものは今の所ありません

このまま何も成さず終わっていくのかと思うと、何やら恐ろしく感じます

そんな事を考えていると、ふと思ったのです

人としてこの世に生を受けた以上何かを成さないと・・・みたいな風潮があるような気が

するけど、別に何も成さなくても良いんじゃね?

別に良いやろ無理して何かを成さなくても、やりたくなったらやるだろうし

やりたい事が無いからってやりたい事を探すってのも手段と目的が逆になってる感じするし

無理に何かをやろうとして下手こいているようなのも

よくよく見ればありふれているし、取り敢えず生きていくのにも現状問題はない

一体何を不安に感じているのだろう?わざわざ、不安を探しに行っているような

自分に妙なものを感じた。

取り敢えず生きる、それも生きることに執着しすぎなければ思っていたより気は楽だ。

人が語る、人たるものこうあるべしみたいなのを真に受け過ぎていたのかもしれない

人の言うことを聞き入れるのは良いかもしれないが

その聞いたことに自分を支配されていては、それこそ

わっちがわっちとして生まれたことに意味がなくなってしまう

もっと、わっち自身の心の声みたいなのを聴く時間を大切にしたほうが良いのかもしれない

人の言うことを聞きすぎたり、自分を抑えるのも程々にした方が良いのかもしれない

それこそ自分に備わった良知というやつをもっと信じてあげて良いのかもしれない

人の唱える呪いのような正しいこと、人として云々、かくあるべしなど

そんなの言ってる人がやればいい、無理してまで付き合う必要はない

そんなふうに思えてきた

ちょっといい加減な感じに生きてみようと思う

 

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